馬毛島の数奇な戦後史
馬毛島(まげしま)は鹿児島県の種子島の西12キロにある島です。1950年代に開拓され、最大時は528人が住んで小中学校もありましたが、1980年以後は実質的に無人島です。
1974年に平和総合銀行が大半の土地を買収して以後、レジャーランド構想、石油備蓄基地構想、自衛隊レーダー基地構想が現れては消えました。1995年に東京の立石建設が買収し、子会社タストン・エアポート(立石だからタ・ストーン)を設立、島の端から端まで十字形の滑走路に見える乱開発をしました。ただし実際に飛行場にするには役立たない開発だったようです。島に住む固有の鹿、馬毛鹿の住める地も減りました。
2007年以降、米海軍の空母艦載機の離着陸訓練場にする話が持ち上がりました。空母は巨大な船ですが、上空から見れば小さな点にすぎないところに戦闘機が着陸するには高度な技術が必要で、パイロットは常に訓練していなければなりません。離着陸を繰り返すと相当な騒音が周囲を襲います。横須賀を母港とする米空母の艦載機はふだんは岩国におり、訓練場は硫黄島です。馬毛島の米軍基地計画には、種子島・屋久島の4自治体が反対決議を上げました。
2019年に防衛省がタストン・エアポートから評価額の3倍以上の160億円で馬毛島を買い取ることで合意したとき、そんな費用をかけて米軍にサービスするのか、という調子で報道がありました。しかし2010年にはすでに防衛省は、ここを陸海空自衛隊の総合基地にする計画を進めていました。自衛隊の空母艦載機等の訓練場にする。補給基地にする、那覇の戦闘機の避難場所にする、等々。
いま種子島まで視察に行こうとしても、航空便に空席はなく、宿もレンタカーも予約できません。すべて工事関係者が押さえています。地方紙等の報道によれば、馬毛島をトビウオ漁の拠点にしていた種子島の漁師たちは、工事関係者を島に渡す仕事をしています。宿舎が不足するので家賃が上がり、商売を続けられなくなる店も出てきています。工事が終われば、日米のあらゆる軍用機が飛び交う島、汚染された海で、漁を再開することは難しいのではないでしょうか。