
キューバ、サンタ・クララの猫。おまえは革命派か、軍事政権側か、と厳しい眼で問い質しているようです。下に敷いている新聞「フベントゥ・レベルデ」はキューバ共産主義青年同盟の機関紙。
サンタ・クララは首都ハバナから約300キロ東の町です。1958年12月にゲバラの率いる革命軍がバティスタ政権軍の装甲列車を襲撃して成功し、多くの武器を奪ってキューバ革命勝利への道を開いた場所。ゲバラの遺骨が眠る霊廟があり、巨大な銅像があります。
キューバで「老人と海」を書いたヘミングウェイも猫を溺愛したとか。
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キューバ、サンタ・クララの猫。おまえは革命派か、軍事政権側か、と厳しい眼で問い質しているようです。下に敷いている新聞「フベントゥ・レベルデ」はキューバ共産主義青年同盟の機関紙。
サンタ・クララは首都ハバナから約300キロ東の町です。1958年12月にゲバラの率いる革命軍がバティスタ政権軍の装甲列車を襲撃して成功し、多くの武器を奪ってキューバ革命勝利への道を開いた場所。ゲバラの遺骨が眠る霊廟があり、巨大な銅像があります。
キューバで「老人と海」を書いたヘミングウェイも猫を溺愛したとか。
練馬駅北口の平成つつじ公園は、もとカネボウ(鐘ヶ淵紡績)の工場跡地でした。多角化に失敗したカネボウの経営が破綻したあと、工場跡地を買い取った練馬区は、ここに文化センターを建設し、1994年に平成つつじ公園をつくりました。
この公園について、練馬区HPでは次のように書いています。「公園には、およそ600品種10,000株のツツジの仲間が植えられています。久留米ツツジを中心に平戸ツツジ、霧島ツツジ、野生種、サツキツツジ、アザレア、シャクナゲとバラエティーあふれるツツジの仲間が集められています。この収集、栽培にあたっては、久留米市および財団法人久留米市世界つつじセンターに協力いただきました。」
なるほど、だから久留米系の品種が多いのですね。ツツジもシャクナゲもサツキも同じツツジ属の仲間、アザレアは欧米で改良された品種群です。九州のミヤマツツジや全国の山中で見られるヤマツツジのような野生種から、江戸時代にツツジの多彩な品種がつくられました。平戸系は武家屋敷での自然交雑から生まれたと言われます。
平成つつじ公園はいま、荒れています。毎年、造園業者さんにより手入れがされてはいますが、品種名札があちこちで失われていたり、枯れた珍種のあとをどこにでもあるような品種で穴埋めしたり。せっかく当初は多品種を集めながら、見本園的な役割は果たさなくなっています。花が咲けばなんでもいいだろう、ではあまりにも悲しい。
親になった久留米の世界つつじセンターには、母樹を保存し、増殖し、品種改良もする施設が整っています。植えておくだけでは経年で衰えていくのが明らかだからです。練馬には造園業者さんが多いのですから、バックヤードを整備して品種を保存するような努力をしないと、せっかくのつつじ園はさらに荒れていくのではないでしょうか。
7月30日、猛暑の続くなかでしたが、日本共産党とよにし応援団の「つどい」を開催しました。総選挙東京28区に立候補予定・たかの直美さん、東京都議会議員・とや英津子さん、練馬区議会議員・のむら説さんにも参加していただきました。参加者を含めてそれぞれの共産党入党のいきさつを話していただき、会場からの質問もあって、充実した会合になりました。志位委員長の「入党の呼びかけ」を読み上げて「つどい」を終えました。
野村:25歳で入党し、25年になります。トレーラーの運転手でした。待ち時間が長いので、「しんぶん赤旗」を読んで共産党にのめり込みました。私は大学を卒業していましたが、トレーラーの運転手には学歴の少ない人があって、大学卒の自己肯定感が落ちました。日本共産党はいろいろな攻撃のある政党ですが、みんなの力で攻撃をはね返していく決意です。
たかの:まだ入党してから3年くらいしか経っていません。身の回りに共産党の知り合いがいない中で「赤旗」を読みフードバンクに参加したりして、綱領に未来社会があることを知りました。残りの人生を社会が前に進むようにしたいと思います。共産党は戦争反対を貫く、他の野党にはない魅力を持っています。党に入ると見える景色が違ってくるのです。
とや:いろいろな職人が出入りしている家庭で育ちました。職人さんは国民年金しかありません。なんでこんな社会になったのかと思いました。高校生になって沖縄に行き、基地を見ました。本土決戦の代償を払わざるをえないのはなぜか、この疑問に応えてくれたのが日本共産党でした。綱領を読んで政治の主人公が国民なんだということを知って感動しました。
飯岡助五郎墓所の灯籠の上からあたりをヘイゲイする猫。なにやら大親分の貫禄がありますね。
講談・浪曲・映画で有名になった『天保水滸伝』の大利根河原の決闘は、飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家との博徒同士の縄張り争いで、1844年に実際にあった事件です。物語では悪役にされる助五郎ですが、網元で十手も預かっており、地域の世話役として頼りにされた人のようです。
飯岡は千葉県旭市内の地名です。九十九里浜の北端にあたります。2011年の東北大震災時の津波で死者13人、行方不明2人の被害をうけましたが、助五郎の墓所、光台寺は海岸から少し離れていて、無事でした。
馬毛島(まげしま)は鹿児島県の種子島の西12キロにある島です。1950年代に開拓され、最大時は528人が住んで小中学校もありましたが、1980年以後は実質的に無人島です。
1974年に平和総合銀行が大半の土地を買収して以後、レジャーランド構想、石油備蓄基地構想、自衛隊レーダー基地構想が現れては消えました。1995年に東京の立石建設が買収し、子会社タストン・エアポート(立石だからタ・ストーン)を設立、島の端から端まで十字形の滑走路に見える乱開発をしました。ただし実際に飛行場にするには役立たない開発だったようです。島に住む固有の鹿、馬毛鹿の住める地も減りました。
2007年以降、米海軍の空母艦載機の離着陸訓練場にする話が持ち上がりました。空母は巨大な船ですが、上空から見れば小さな点にすぎないところに戦闘機が着陸するには高度な技術が必要で、パイロットは常に訓練していなければなりません。離着陸を繰り返すと相当な騒音が周囲を襲います。横須賀を母港とする米空母の艦載機はふだんは岩国におり、訓練場は硫黄島です。馬毛島の米軍基地計画には、種子島・屋久島の4自治体が反対決議を上げました。
2019年に防衛省がタストン・エアポートから評価額の3倍以上の160億円で馬毛島を買い取ることで合意したとき、そんな費用をかけて米軍にサービスするのか、という調子で報道がありました。しかし2010年にはすでに防衛省は、ここを陸海空自衛隊の総合基地にする計画を進めていました。自衛隊の空母艦載機等の訓練場にする。補給基地にする、那覇の戦闘機の避難場所にする、等々。
いま種子島まで視察に行こうとしても、航空便に空席はなく、宿もレンタカーも予約できません。すべて工事関係者が押さえています。地方紙等の報道によれば、馬毛島をトビウオ漁の拠点にしていた種子島の漁師たちは、工事関係者を島に渡す仕事をしています。宿舎が不足するので家賃が上がり、商売を続けられなくなる店も出てきています。工事が終われば、日米のあらゆる軍用機が飛び交う島、汚染された海で、漁を再開することは難しいのではないでしょうか。
広島県の尾道は瀬戸内のほぼ中央、しまなみ海道の入口ですが、猫の町としても有名です。山陽本線の尾道駅から東へ、山手の細道を歩いてゆくと、千光寺公園にいたるまでにたくさんの猫に出会います。
この猫は「Lovers」と銘板のあるカップル専用のベンチの下に隠れていました。町並みと海を見下ろす絶景を眺めているのでしょうか。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と書いて47歳で亡くなった作家、林芙美子の記念館は、坂を下りたフェリー乗り場の近くにあります。
新型コロナの5類感染症移行後、ろくに検査もされず、実態が把握できていないので、軽度の感染者(隠れコロナ)も濃厚接触者も自覚せず、マスクもせずに町を歩いています。高齢者などを除けば1年以上もワクチン投与を受けていない人が多いので、効果も薄れてきています。そのため、すでに第9波到来が現実になっているように思われます。
石垣島の県立八重山病院は医師500人規模の、地域の中核病院です。コロナ疲れでスタッフの退職が相次ぎ、透析患者受け入れが困難になったため、県に職員増員を求めていました。しかし十分に果たされないので、「命を軽く見ている」と昨年末に副院長が、この3月に院長が辞職しました。そこへ何度目かのコロナ禍が到来しました。
病院の11日の発表によれば、確保していた病床は15でしたが、すでに22人が入院しています。医療スタッフ28人が感染、22人が濃厚接触者となりました。欠勤が相次ぎ、濃厚接触者となったスタッフは毎日陰性を確認してから出勤しています。医師は「第1波以降で今が一番ひどい状況だ」とい言っています。(以上『沖縄タイムス』2月1日、7月9日、7月12日報道による)
重症患者は自衛隊機で沖縄本島に搬送せざるを得なくなりますが、沖縄本島でも病院は逼迫してきています。コロナ患者の増加はもちろん、梅雨明け以後は観光客が増えたため、救急車も病院も熱中症患者や水難事故対策などに追われています。
沖縄だけの問題ではありません。コロナ禍は収まっていない。厚労省が病院や保健所の統廃合を進め、医療労働者の待遇改善を進めてこなかったことの人災が、この数年の事態でした。それを各自の自粛でしのいできたのが、5類移行でゆらいでいるわけです。
残念ですが、沖縄の犠牲をさらに増やさないために、夏休みの沖縄旅行については良く考えたほうがいいのでしょう。
岸田首相がもてあそんだ国会の解散風は止みましたが、この秋にも衆議院の解散・総選挙がありそうです。豊玉地区の選挙区は従来の東京9区ではなく、新たにできた東京28区となりました。選挙の準備を始めなければなりません。
6月24日、東京28区から市民・野党共同候補を当選させようとする市民運動「練馬イースト28区」がココネリでキックオフ集会を開き、110人が参加しました。すでに立候補を表明している日本共産党のたかの直美さんと立憲民主党の高松さとしさんが、8人の市民からの訴えに答えながらあいさつ。共同候補が成立するかどうかは中央での政党同士の協議によりますが、なんとか自公政権に一矢を報いたいものです。
横須賀市の観音埼公園でストレッチをする猫。
このあたりは東京湾の入口に当たるので、江戸時代末から海防の拠点となり、明治時代の砲台跡も3箇所、残っています。アジア太平洋戦争で徴発されて海没した民間船員の慰霊碑もあります。約2500隻・6万人の死者は、死亡率では旧海軍を上回ると言います。そして公園の隣には防衛大学校があります。
戦争と平和について考えさせられるこの地で、自由にのびのびと体を動かせる猫が、うらやましい。
6月21日、岸田首相は記者会見で今後の重要課題3点について述べました。①国内投資(2021年の自民総裁選では「新しい日本型資本主義 新自由主義からの転換」と言っていましたね。あまり転換したようには見えませんが)、②令和版行財政改革(たしか「令和版所得倍増」とも言っていましたね)、そして③少子化対策。
4月1日に「こども家庭庁」が発足しました。内部部局350名、2つの児童自立支援施設(もと感化院、教護院)80名。長官の渡辺由美子さん(子どもへの食料・教育支援をしているNPO、キッズドアの理事長と同姓同名なのはとても紛らわしい)はキャリア官僚、もと厚生労働省の子ども家庭局長です。ご自身の家族については発表がないので、子育て経験がおありかどうかは分かりません。
6月13日に内閣官房の「こども未来戦略会議」が発表した「こども未来戦略方針」を読んでみました。「3つの基本理念」として①若い世代の所得を増やす ②社会全体の構造・意識を変える ③全てのこども・子育て世帯を切れ目なく支援する」とし、財源は徹底した歳出改革等でまかない増税はしない、としています。この言葉だけ見たら、本当に全部実現したらと願わざるを得ません。
具体化にあたっては、やはり社会の意識改革と「人と予算」の手当てが肝でしょう。
吉富芳教授は、今だに男性優位政治を進める自民党高齢幹部がガンだと指摘しています。桜井啓太准教授は「子育て罰」という言葉を使い、結婚しない、こどもを持たないことが合理的選択になってしまっている社会を告発しています(光文社新書『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』)。
子育ては母親の責任、と押し付けてきた結果が、少子化となって現れてきているのでしょう。21日に世界経済フォーラムが発表した男女格差報告では、日本は146か国中125位でした。
保育、学校、学童、病院。どこでも人不足、予算不足で悩んでいます。冒頭に述べた21日の首相記者会見で岸田首相は、少子化対策の財源については何も語りませんでした。軍拡予算をようやく今年度分までは見当を付けて、先行きがまったく不透明なのに、いじげん(異次元)の少子化対策にヘタに手を打って、ていじげん(低次元)の少子化対策に終わらぬよう、監視していく必要がありそうです。